SAORIYAMAMURAオフィシャルブログ

ファッション、子育て、メイク、恋愛など、女に生まれたからこその楽しみや喜びを書いています。

予想が出来ない幸せが訪れる子どもがいる人生。

 

昨日は、長女の幼稚園最後の園外保育。

 

雨が降ったから、予定の場所には行けなかったけど、いっぱい楽しかったって💗

 

人生は、予定通りじゃないし、

 

予測が出来ないし、予想が出来ないから面白い。

 

想像も出来なかった感情が湧く私が面白い。

 

例えば、「子どもは可愛い!」と思い込んでいた人が、「子ども、可愛くない」という感情が湧くのも予想出来なかったこと。

 

このトラップにハマる人、多い。

 

なぜなら、予定調和が当然だと思っているから。

 

新しい感情、予想も出来ない感情をしっかり味わって楽しめばいいのに。

 

ひとつずつ、幼稚園最後の行事が終わる度に、

 

私は、予想もしなかった感情が湧く。

 

幼稚園最後のお弁当はこれ💗

 

f:id:SAORIYAMAMURA:20181114050217j:image
f:id:SAORIYAMAMURA:20181114050213j:image


f:id:SAORIYAMAMURA:20181114050210j:image

 

焼きそば弁当

 

あおむし君ウインナーの下は、ハンバーグ。

 

長女が大好きな卵焼きに、まだハロウィン🎃のおにぎり。

 

幼稚園の芋掘りで、長女が掘ったさつま芋。

 

ありきたりなお弁当だけど、すごーく喜んでくれて良かった💗

 

でも、私、園外保育のお弁当、3回しか作ってないんだよねー。

 

そのくせ、これを見てウルウル。笑

 

f:id:SAORIYAMAMURA:20181114050621j:image

画像が横向いちゃった!直し方わからない。笑

 

先生たちが、みんなのお弁当を並べて写真を撮ってくれたよ。

 

いつもお弁当を作ってくれてた母に、写真を送って

 

ありがとうを伝えました✨

 

28回の園外保育、25回もお弁当を作ってくれたんだからほんと、感謝。

 

そして、こんな素敵な写真を撮ってくれる先生たちにも感謝💗

 

ほんとにことごとく、園に恵まれてる私もムスメズも幸せよ。

 

卒園準備は進んでいて、

 

卒園文集に載せる、子どもへのメッセージを書く紙が届いたんだけど、

 

上は長女が一番の思い出の絵を描いて、その下に私からのメッセージが直筆で載るんだけど、

 

書く前から、ウルウル。

 

思い出は、たくさんたくさんあって、

 

全てがキラキラしていて、

 

太陽のように輝く長女の笑顔がいつも嬉しくて、

 

6年間のうち、半分は両親に任せてたけど、それでもやっぱり、

 

6年間という時間で、たくさんのことを親子で経験したし、別々に経験したし、充実した6年間に改めて感謝。

 

真っ先に思い出すのは、

 

初めて登園した日に、号泣する長女を見て一緒に泣いたこと。

 

翌日は、園を出てすぐに泣いて、車でしばらく泣いていたこと。

 

長女と私の初めては、いまだに忘れられないのは、

 

きっと、初めての感情だったから。

 

「幸せにしかならない子育て」

 

に、気付いて、

 

私をとにかく優先させて、不快を排除し、

 

嫌なことを嫌じゃないことに変えるテイクとしてやったひとつが、

 

ムスメズのペースに合わせて歩かないこと。

 

ムスメズのペースで歩くと、

 

「早くしてよ!」って言う私が嫌で、

 

ムスメズは地面に咲いたお花を見つけて近寄ったり触ったりするのに、その機会を奪ってるのに気がついて、

 

私は私のペースで歩くことにした。

 

ひたすら信じて振り返らない。

 

必ずついてくると信頼して、先を歩く。

 

もちろん、車には気をつけるけど、登園の短い距離から始めたおかげで、

 

空港でもスーパーでも海外でも、ディズニーリゾートでも、私は私のペース、ムスメズはムスメズのペースで歩けるようになって、

 

本当にやって良かったこと。

 

小さいからって、ずっと手を繋ぐ必要はない。

 

これが出来たら、並んで歩くのも、ムスメズが先に歩くのも平気だし、全く不快でも嫌でもない。

 

嫌なことをやめるって、一切しないのではなく、

 

工夫をして、嫌なことを嫌じゃなくする方法もあるんだわ。

 

嫌なことをやめるブームで、バッサリやめる人がいるけど、単細胞過ぎ。

 

何で嫌なのかを考えてないからです!

 

 

抱っこで通った時期、おんぶで通った時期、

 

手を繋いで通った時期、先を歩いて通った時期、

 

並んで通った時期、ムスメズの背中を見て通った時期、

 

今はまた、長女と手を繋いで通ってます。

 

f:id:SAORIYAMAMURA:20181114052752j:image

 

早くクラスに行きたいから、スタスタ歩いてる長女。

 

最後の遠足の記念に写真を撮ったら、

 

f:id:SAORIYAMAMURA:20181114052853j:image

 

時間が気になって、笑顔が笑顔じゃない。笑

 

送り迎えに、慣れたくない、私は。

 

義務のように何も感じなくなるのが嫌。

 

残り4ヶ月、長女と通う幼稚園、

 

長女と帰る道のりを

 

同じことの繰り返しにしたくない。

 

1回を大事にしたい。

 

こんな風に思うなんて、予想もしてなかったよ。

 

 

そして、こんな風に大事に思える私は、凄い幸せだ。

 

友達に、幼稚園の卒アルと文集を見せてもらったんだけど、

 

それだけで泣ける。

 

我が子の卒アルじゃないのに泣ける。

 

初めて味わう「ママの気持ち」。

 

だから、ママって楽しい!

 

子どもがいる人生って、本当に本当に豊か。

 

こんなにも、新しい私を知るんだもん。

 

 

ま、ママじゃなくてもいくらでも知れるけども、

 

子どもがいるからこそ、知る自分って私は沢山あるから、やっぱり私は幸せだ。

 

卒園式、ほんとにずっと泣いてそうだなー。

 

運動会の写真が、園に展示されてるんだけど、

 

f:id:SAORIYAMAMURA:20181114053725j:image

 

やだーーー!!笑

 

PTAの挨拶してる写真。

 

マジで、やだー!!と思ったわりに、すぐにネタにするけど、よく考えたら、

 

これもPTAをやったからこそだよね。

 

長女のお友達も、次女のお友達も、

 

「RUNAちゃんのママがいるよ」

「AIRUちゃんのママがいるよ」

 

って言ってくれるし、これも6年間の輝く思い出のひとつになったわ。

 

ちゃっかり私はみつけても、我が子は見つけられないけど。笑

 

朝、必死に探してたら次女のお友達が一緒に探してくれたわ💗

 

園児と私、友達みたいでしょ。

 

これが、私の子どもとの関わり方。

 

大人だから、よその子だから、とかない。

 

我が子と対等なように、お友達も同じ。

 

これを「大人げない」という人は、子ども心を抑圧してるか、大人ぶって上から目線で子どもを見てるかなんかだから、死んでも子どもからは学べないです。

 

仲良しのお友達に話しかけて、あ、園児だよ、

 

スルーされたら、「何でスルーするんよー!」ってわざとちょっかい出すし、

 

長女のお友達はオシャレに敏感だから、

 

ファッションチェックをしてくれるんだけど、真正面から受けて立つし。笑

 

「RUNAちゃんも、RUNAちゃんのママも

 

オシャレ過ぎだよ」って言われるって、

 

可愛いし、ほんとよく見てる。

 

今日のファッションのポイントを自分なりに探して、なぜこれを取り入れたのかを聞いてくるお友達もいるんだよー!!

 

超面白い!!!

 

人が喜ぶことをよく知ってる長女は、

 

「みんなが楽しみにしてるから、可愛いお洋服にしてね!」

 

「今日のママのお洋服、可愛いからみんなが喜ぶよ」とか、

 

いちいち朝から面白い。

 

これも、素敵な日常で、これも輝く思い出。

 

オシャレが大好きで、オシャレで良かった💗

 

両親に任せっぱなしにしてても、

 

中身が濃ければいいし、大事なのは中身の濃さでしょ。

 

想いでしょ。

 

卒園お別れ会なんて、まだまだ先だと思ってたし、

卒園お別れ会の打ち合わせなんて、まだまだ先だと思ってたけど、あっとゆうまにその日が来そう。

 

卒園お別れ会の打ち合わせは自由参加だけど、

 

やっぱりみんなで作り上げたいから、そして

 

参加した方が楽しいと知ってしまったから、参加するよ。

 

これが、義務やら体裁を気にしてたら何も楽しくないけどね。

 

こういうことに参加したい私になったのも、新しい発見。

 

予想もしない幸せが訪れるのが、幸せにしかならない生き方。

 

変わる喜び、自分を知る喜びって、幸せでしかない。

 

f:id:SAORIYAMAMURA:20181114055828j:image

 

昨日みたいな天気の日は、ダウンベストが大活躍。

 

次女が、お弁当を手伝ってくれたり、水筒をリュックに入れたり、2人とも優しい子に育ってくれて、

 

やっぱり私は幸せだ。

 

幸せなのは当たり前だけど、ちゃんと感じられる私で、幸せだ。

 

長女と歩くいつもの道がとても愛しい私は、幸せだ。