SAORIYAMAMURAオフィシャルブログ

ファッション、子育て、メイク、恋愛など、女に生まれたからこその楽しみや喜びを書いています。

私が子育てを追求する源は、幼少期に見た母の姿と私の憤りと淋しさです。

 

私は「幸せにしかならない子育て」という、

 

【子育てから、ママを自由に

 

子育てから、子どもを自由に】

 

という理念のもと、

 

子どもの為に自分を犠牲にせず、子どもから学び、ママの快適を最優先し、「母親」という職業につかず、子どもがいる豊かさを心底目一杯感じ、楽しみ、「命を信頼する」子育てを提唱しています。

 

「パンケーキ」と名付けた、甘やかし、甘ったれ、領域侵入をしないということを徹底して伝えてきました。

 

私が、なぜこんなにも子育てや子どもを研究、検証し、追求するのか、私とムスメズの双方の快適と自由の為に何度もテイクしているのか、

 

その源は、

 

幼少期に見た母の姿と私の憤りと淋しさです。

 

常識とされていることに疑問があるのに、その疑問より常識や世間体を気にして我慢し続けた母が病気になって誰も幸せじゃなかった経験が1番大きいんです。

 

私は、両親と祖父母、2人の妹の7人家族で育ち、

 

祖父は田舎の狭い地域であれど、住人に尊敬され、地域の色んな役職についていた人でした。

 

県会議員や小学校の校長が祖父に相談に来るから応接室があったぐらい、そして選挙に出ないかと何度もオファーが来るような人で、幼い頃から、

 

私は尊敬する人は「おじいちゃん」と迷わず答えていたほど大好きで、子どもながらにおじいちゃんはみんなに頼りにされて、みんなの為になることを考える人であり、

 

私にとてつもなく無償の愛を注いでくれる人でした。

 

感情に支配されて怒鳴るとか、無縁。

 

いつも冷静で、ニコニコしていた人。

 

私の人生に大きな影響を与えてくれた1人。

 

おばあちゃんは、本当に苦労人。

 

ここを話すと長くなるから、短くまとめますが、

 

大正8年生まれの祖母は、当時「財閥」と呼ばれる家に生まれ、お手伝いさんがいて庭がどこかの庭園かのような広い家に住んで何不自由なく暮らしていたんです。

 

なぜ、これを知っているかと言うと写真が残っているから。

 

大正時代に家族写真や日常の写真があることで、どんな暮らしをしていたのかよくわかるんだけど、

 

ある日、その生活が全て失われます。

 

借金の保証人になっていたおばあちゃんのお父さんが、全てを被ることになり会社は倒産、家もなくなりあっという間に両親が亡くなり、

 

9歳で子どものいない家にもらわれ、養子といっても今とは違う単なる家政婦をしていたんです。

 

おばあちゃんがもらわれて、その家には子どもが生まれたからおばあちゃんは赤ちゃんをおんぶして小学校に行ってたんだよ。

 

とても私には真似出来ないし、想像を絶する悲しみや淋しさがあったはず。

 

そのおばあちゃんも、私にはこれでもかという無償の愛を注いでくれて、祖父母には愛された記憶しかないんです。

 

一方の母。

 

成人式を迎える前に結婚し、無知な状態で母が育った環境とは全く別の世界で生きることになったんだけど、

 

おじいちゃんもおばあちゃんも、母を誰より愛していたのは幼い私にもわかるほどなのに

 

それを受け取れなかったんです。

 

なぜかというと、いい子ぶって我慢していたから。笑

 

壮大な親戚付き合いのある家系だから、親戚の目を気にし、近所の目を気にし、父は出張だらけですぐに相談出来る相手もいない寂しさもあったはずだし、

そもそも母は、常識に合わせて生きられる人じゃないんです。

 

私を見たらわかるでしょ??笑

 

私のことを大事に大事に溺愛してるのがわかる赤ちゃんの頃の写真は残っているけど、

 

そうは言ってもまだ若い、そのうえ、2つ下の妹たちは年子。

 

24歳で三姉妹の母になったからね。

 

私の子守りはおじいちゃんがしていたけど、おばあちゃんは起業していたから昼間をフルに子育てを手伝えず、母方の祖母は今でいうバリキャリだったから頼れず、1人だと勘違いし頑張っていたんです。

 

仮想ワンオペ。笑

 

料理上手なおばあちゃんが晩ご飯を作ってくれてたし、もっともっと頼れば良かったのに、

 

専業主婦は子育てが仕事!!!

 

という古臭い子育てにまんまとハマり、やりたくないことをして我慢の蓄積。

 

母は自分が1番大事なんです、顕著に。

 

なのに、子どもを優先してるのが凄い苦しかったんだと思う。

 

働きたかったはずなのに、漁師の嫁は働くべきではないということに縛られて我慢していたし。

 

何が起きていったかというと、

 

私への八つ当たり。

 

いきなり発狂して怒鳴る。

 

私は昔から、理不尽なことや抑圧されることが大嫌いだったようで、もちろん全力で言い返す。

 

母はまたイラついて、怒鳴る。

 

終わりがないんだわ、これ。

 

段々と私は、友達のお母さんと比較して、

 

「◯◯ちゃんのお母さんはいいな、優しいし、怒鳴らんし、◯◯ちゃんのお母さんが良かった」って言う。

 

今、思えば、◯◯ちゃんは愛されているけど、

 

私は愛されていないと思い込んでいただけ。

 

年長あたりから、母に愛されてると感じることがなくなったもん。

 

「愛して欲しい」と言えないかわりに、無条件に愛してくれる祖父母になつく私。

 

それが、また気にくわない母。

 

寂しかっただけなはずなのに、

 

祖父母の私の接し方に文句を言う。

 

いやいや、子育て方針をシェアしたらいいやん!って話だけど、世間体が基準だから子育て方針がないんです。

 

世間でいう「いい子」にさせたいだけだから。

 

もちろん私は世間でいう「悪い子」になるから、ますます母は必死に私をコントロールしようとするんだけど、そんなの私が受け入れるわけない。

 

私はこうなの!わかってよ!です。

 

 

母が笑いながら言う言葉の1つに、

 

「沙織は保育園から20歳まで反抗期だった、まあおらんわ、そんな子は」って言うんだけど、

 

母はそう見ていたんだろうね。

 

我が子と大人同士の殴り合いみたいなことをするほど、

 

実は無邪気で素直な母なのに、言いたいことをストレートに言わないから父ともよく喧嘩してたし、そんな母が常識に生きるとか無理だし、常識的子育てなんて無理な話だったんですよ。

 

結果、突然めまいと耳鳴りがして立っていられなくなることが頻発して受診したら、

 

メニエール病

 

今ではメジャーな病気だけど30年前は治療法も原因も確立されてなくて、鳥取市の色んな病院に行っても良くならない。

 

運転中に急に車を停めて寝込んだことと、お盆に親戚が集まっている時に料理をしながら倒れこんだことは鮮明に今でも覚えています。

 

その時、叔母に「緊張したのよ、きっと」って言われて、絶対違うわ!と言い返したのも覚えてる。

 

絶対違ったんだけどね、実際。

 

ストレスです、我慢と抑圧による。

 

よく寝込むようになって、藁をも掴む思いで遠くの病院に行って入院し、治らずに退院し、また別の病院に行っては原因不明と言われることを繰り返し、

 

家族総出で探しまくったのが、当時メニエールの権威と言われていた先生がいる大分県の病院。

 

3か月くらい入院してオペしたんだけど、

 

小学2年の私にとって、寝込んでる母の姿が最後でお見舞いにもいけない場所に入院したのは精神的にめちゃくちゃダメージだったみたいで、

 

さらには、母が学校関係のことを抱えてたからおばあちゃんはわからないことだらけ、

 

それを近所の人や親戚に聞きに行ってる姿を見るのも辛くって、

 

(だから、私はムスメズの幼稚園のことを両親と必ず共有するんです、私がいなくても誰も困らないように)

 

そして、私まで母と同じ症状になった。

 

目眩と耳鳴りで起き上がれない。

 

これ、8歳。

 

ここからの記憶も、母が退院して帰ってきた日のことも記憶にないんだけど、

 

入院中の母に、父が書いた手紙を見つけてしまって読んだんです。

 

あの衝撃は今でも覚えている。

 

手紙を書くような人じゃないと思っていたのもそうだし、内容は、

 

母方の祖母が←基本ネガティブだから、

 

「若くで嫁にやったからこんなことになったんだろうか」と言っているのを聞いて辛かったこと、自分のせいで母が病気になったんじゃないかと思ってること、こうなる前に出来ることがあったんじゃないかとずっと考えていること、今は先生に任せて仕事を頑張ること、だけど仕事をしてても自責の念にかられること、喧嘩をして背を向けて寝ていてもやっぱり一緒がいいこと、喧嘩すらも今は愛しいこと、

 

最後は可愛い父らしく笑える内容で締めくくってあったけど、

 

はっきり言って、この時期、

 

みんなが幸せじゃなかったし、誰も幸せにならないことをしちゃいけないって考えはこの時に生まれた。

 

ママの幸せが家族の幸せだという真理もそう。

 

母親の我慢がこんなことを引き起こすことを知ってるから我慢するな!って言ってるんです。

 

特に、母や私のように素直過ぎて純粋で正直な人は顕著だから。

 

捻くれてる人は、ジワジワと出る。

 

まだ保育園児だった妹たちも、淋しさから、指しゃぶりを始めるようになったし、

 

私が出張や1人で過ごしたくて、実家にお願いして離れるのと、誰も幸せにならないことで離れるのって、

 

全く違いますからね。

 

目的が全く違う。

 

退院後、一緒に入院していた高校生のお姉ちゃんと文通していることに、私はめちゃくちゃ嫉妬したのも思い出したわ。笑

 

長い入院生活、楽しむしかなかったんだろうけど、

 

私らがどんなんだったかわかるか?というのは表面上の気持ちで、退院して側にいるんだから、

 

ちゃんと私たちを見て!というのが本心。

 

なんだけど、それが言えない関係になっていたんです、すでに。

 

子どもが親に言いたいことを言えないのって、

 

我慢して欲しくない!が、無意識にあるからだと思う。

 

私は、ムスメズが私に何でも話せて、ママは何があろうと自分たちの味方だと自信を持って欲しいから、我慢しないし、子どもの為に私を犠牲にしない。

 

母の負担を減らそうと、小さいながらに姉妹で頑張った記憶も薄っすらあるもん。

 

遊びに行くのに、下の妹を連れて行ってたけど面白くなくてすぐやめた記憶も。笑

 

何年か経った時に、私が入院中の母に書いた手紙を発見して読んだ時に、あまりに健気過ぎて涙が止まらなくって。

 

自分が書いた手紙なのに、他の誰かの手紙を読んでいるかのような感覚で。

 

ごめんなさい、沙織がいい子じゃなかったから病気になったのならいい子になるから早く元気になって欲しい、勉強も頑張っています、また100点だったよ、妹たちは淋しがっているけど沙織がいるから大丈夫、でも本当はとっても淋しいです、お母さんがいないとお家が静かで淋しいです、おばあちゃんが夜いつも泣いています、だから沙織は泣かない、こんなのは嫌だから早く元気になって帰ってきてね。

 

という内容。

 

テストに関しては100点が当たり前だと言っていたから、100点取れば喜ぶと思って頑張ったんだろうね、私、健気。

 

しかし、

 

絶対に絶対にムスメズにはこんな想いはさせない。

 

私は私を責めたけど、そもそも母がのびのび生きていたらこうならなかったもん。

 

母のせいではなく、これが母からもらった最大最高の学びです。

 

そのあと、めっちゃムカついたけども。

 

なぜかというと、こんな健気な我が子の手紙を読んでおいて、今これかよ!と。笑

 

私を愛して欲しいんじゃなくて、

 

母に母自身を愛して欲しかったんです。

 

好きなことして生きろよ、いい子ぶるなよ!

 

という想いも原動力になり、反抗。笑

 

次女がまだ1歳になってない頃に入退院を繰り返したことで、

 

あー、私、同じことしてるわ!!って気付いたんです。

 

ワンオペ育児なんて、私には無理なのにやってたんだよ。

 

私が病気になるんじゃなくて、ムスメズが病気になってた。

 

だから、考えたというより、

 

子育てを変える、新しい子育てをすることに吸引されたという感覚。

 

軸が絶対にブレてないですから、この子育てをテイクしている時に。

 

私の少し我慢や、不快の見逃し、やりたくないことを義務づけてやると全てぐちゃぐちゃになる。

 

だから、これをやらなければ変わるはず!と確信して実験していったんです。

 

信頼だって、1つずつの行動の積み重ね。

 

出来るだろうかではなく、出来るかどうかはムスメズ次第。

 

私はやらない、ムスメズがやるかやらないかもムスメズ次第。

 

100%でムスメズは、やる選択をしてきましたよ。

 

結果、ムスメズ、入院など無縁。

 

週3の耳鼻科通いも無縁。

 

風邪もほとんど引かない。

 

発熱しても数時間で下がる。

 

もしや体温計が壊れてるだけなのか?と疑うほど。

 

次女がたまに咳をするけど、これは幼稚園で言いたいことを言わないことが続いた時に起きるから、存分に咳をさせてます。

 

わかるんですよ、風邪の咳とそうじゃない咳は。

 

最近は、自分の想いを言葉にして伝えているようで咳もしない。

 

結局ね、

 

自分が育った家庭、環境を今の自分にどう活かすか?です。

 

母親と同じ子育てをするからしんどいだけ。

 

なぜなら、まず時代が違う。

 

インターネットの普及で、子どもたちもたくさんの情報を知ることが出来るようになったんだから、何でも1人で出来るヒントは沢山あるんです。

 

「個の時代」に、昔ながらの常識を反映させた子育てなんて、へんてこりんなだけ。

 

サザエさんのような家庭が少ない時代だから、ワンオペ育児が出てきたんだろうし、

働くママが増えているのにも関わらず、母親という義務を遂行するとか異常です。

 

母親は何でも出来るなんて思ってもらっちゃ困るわ。

 

そうやって育った男子は、女は何でも出来ると甘ったれて、活力や生命力を失う。

 

つまり、自分を信頼出来ない。

 

命への信頼

を、私はずっと言ってるけど、

 

命への信頼とは、

 

命とは与えられた時間だと認識すること。

 

必ずこの時間には終わりがくる。

 

終わりがくる時間で、

 

本当に子どもの為に自分を犠牲にしたいか?

 

と、私は私に問いかけたらNO!!!

 

自分の本当にやりたいこと探しがブームだけど、

 

それが見つからない人って、子育てをすることで、無理矢理に充実感や、やってる感を出してるだけ。

 

だから、欠乏感にも欲求にも鈍感になる。

 

物理的な距離じゃないですからね、愛って。

 

我慢して八つ当たりされるのが私は大嫌いだから、同じことをムスメズにしないだけ。

 

出来ないことをしようとして、爆発したくないからしないだけ。

 

だって、私ら人間、私ら女。

 

ずっと子どもと一緒にいたいわけないもん。

 

クリスマスにディナーを作ることが愛ではないし、

 

いや、まめに作る人は凄いなと思うけど、それで愛をはかるのは違う。

 

それで母親してる感に浸るのは絶対に違う。

 

「あなたを、あなたの命を信頼しています」

 

という揺るぎない想いがあれば、行動なんてどうでもいいんです。

 

私が幼い頃から母に求めていたのは、これです。

 

だから、私から母の命を信頼することに決めただけ。

 

腎臓ガンのオペをしてもうすぐ5年。

 

再発無しです。

 

脳腫瘍があって、色んな治療を受けても進行していたけど、今は元気いっぱいです。

 

私が信頼するだけで、こんなにも変わるんだもん、やるでしょ。

 

私は、家族みんな幸せに安心の中で生きていきたいから。

 

そうそう、私の大好きな祖父母に母が冷たい態度を取ると烈火の如く怒っていたんだけど、

 

単なる母が言いたいことを言わずにふてて八つ当たりしてただけなんだけど、

 

これだって、母と祖母と私がちゃんと意見をぶつけ合っていたら良かっただけなのにね。

 

まあ、意見をぶつけても受け取らない人とは私は絶対に関わりませんけど。

 

何でも出来る祖母への嫉妬もあったはずなんだけど、苦労が身についた祖母と比べなくても、

 

私はおばあちゃんみたいに出来ませーん!って言って素直に頼ってたら母も楽だったのにね。

 

あんなにも可愛がられる嫁も、まあおらんで!と思うほど愛されていたのに、受け取れる余裕がない子育てをするって悲惨だわ。

 

何でも買ってもらって、お金ももらって、母が楽が出来るようにばっかり考えて、おばあちゃんは母にとって、母を喜ばせることが幸せな男性みたいだったもん。

 

祖母は次女が生まれてすぐになくなったんだけど、

 

長い間、認知症で施設に入っていて、

 

私の名前も父の名前も誰の名前も忘れてしまっている時に、最後まで覚えていたのは母の名前。

 

施設の人が驚くほど、母のことだけは鮮明に覚えていて話していたんだって。

 

この事実を知った時に、祖母の母への無償の愛と、

 

こんなにも祖母に愛される母は幸せだな〜と心底思ったよ。

 

私が感じていた祖母からの大きな愛以上の愛を注いでもらった母は幸せだなと。

 

そして、そんな母の娘の私は幸せだなと。

 

気付いていない愛や幸せがあることを知った時に、

 

私はちゃんと愛も幸せも受け取りたいし、

 

そもそも全ては愛から始まっていることだと知った。

 

だから、愛ベースで考えたら、

 

パンケーキは、

 

愛し方を知らないだけなんです。

 

自分の愛し方を知らないから、欲求を満たすことを子どもに向けるだけ。

 

愛し方の方向性の違いで、どうせ愛してるんだから、どっちも今すぐ幸せになる愛し方、ロングスパンで見てどっちも幸せになる愛し方をすればいいのにと提案します!

 

パンケーキして、思春期になっても彼女もいないとか、私なら心配だもん、非常に。

 

成人して彼氏がいたことがないとか、非常に心配だもん。

 

思春期や遊び盛りの子どもが、クリスマスに家にいたら、

 

大丈夫か??友達も彼女も彼氏もおらんのか?

 

と、非常に心配するもん。

 

 

だから、ロングスパンで見て、将来の不安要素を全てなくす子育てをしています。

 

【子育てから、ママを自由に

 

子育てから、子どもを自由に】

 

この子育ての秘訣や実体験やどう変化進化していったかは、こちらのDVDに全部入っています❤️

 

DVD - SAORI YAMAMURA

 

逆転JAPAN、不死鳥JAPANは子育ての話がメインです❤️

 

おじいちゃんの話を先に書いたのは繋がりがあるからなんだけど、長くなったからまた今度書きます✨

 

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オソロじゃないムスメズ、

やっぱりオソロが好きだわ、私❤️

 

12月に入ってから毎日のようにクリスマス仕様のスリーパー着てた2人、年中クリスマスでいいよ🎄