SAORIYAMAMURAオフィシャルブログ

ファッション、子育て、メイク、恋愛など、女に生まれたからこその楽しみや喜びを書いています。

ライティング技術があっても、言葉のボキャブラリーがなければ面白くない。

 

私には、ライティング技術もロジックも要らないという話です。

 

これをやろうとする、やってしまうと、

 

私は私じゃなくなる。

 

やってないけど。

 

ライティング技術って、

 

上手い文章、人に伝わりやすく、人が理解しやすい文章、読みやすい文章を書く技術でしょ??

 

エネルギー、熱量が低い人がすればいいと思います。

 

そもそもで高いエネルギー量を所有している私がこれをやると、何の個性もなくなる。

 

熱い想いを持つ人がこれをやると、熱さが消える。

 

ちんぷんかんぷんな文章は問題外として、

 

文字からエネルギーが伝わることが大事。

 

そこに、「ステキな言葉」も「綺麗な言葉」も「オシャレな文章」も不要。

 

例えば、

 

「子育てに没頭して、無能な男を育てて、自分は女を捨てて、本気でくだらない」

 

と、私は思っているからこう書く。

 

それを、ライティング技術なるものを駆使し、誰もが気分を害さないように書くと、

 

「子育てに夢中になるのは母性という愛です。

 

その結果として、社会で生き抜く力がなくなる可能性も十分にはらみます。

 

そして、気付けば「女性」から「お母さん」になってしまいます。

 

本当にあなたの望みでしょうか?」

 

と、なる。

 

なんだこれ!笑

 

伝えたいことすら、変わってくるわ。

 

つーか、こんな書き方なら私が書く必要はない。

 

ブログ代行をしてる人に頼めばいい。

 

わざわざ私が、私の言葉で書きたいのは、

 

私が伝えたいことは、私にしか伝えられないから。

 

文章ではなく、熱量の問題です。

 

 

だって、パンケーキって本当にくだらないんだもん。

 

洗濯ひとつ出来ない男が、1人暮らしをして、

 

洗濯機の使い方を考える時間、

 

説明書を読むなり、人に聞くなり、とりあえずやってみるなり、

 

その時間も労力も無駄。

 

だったら、他のことをして欲しいと私は思うから、小さい頃から、生きる術を教えている。

 

「1人暮らしして親のありがたみがわかった」

 

って言葉は、

 

「母親という便利な人がいなくて非常に不便だ」

 

という意味であり、別に感謝はしてない。

 

親のありがたみがわかったって述べる、生活力のない男って、ありがたみも一瞬で忘れ自堕落な生活をしますから。

 

便利な人がいなくなって、非常に不便な状況をどう改善するのかを考える力を持たないのがパンケーキ育ち。

 

パンケーキ子育ての恩恵です。

 

実に愛がない。

 

存分に話がそれました。笑

 

ライティング、特にビジネスにおいて、

 

告知の書き方、ブログの書き方を学んで実行してる人ってロジック頼みだから、

 

熱量が全く伝わってこない。

 

数字だけを並べて、成果だけを並べて人が動く時代じゃないもん。

 

数字に寄ってきた人は、数字しか見ない。

 

人に寄ってきた人は、人を見る。

 

最後まで読まれるように、ここに写真を入れて、どうのって考えてるうちに伝えたいことがしょんぼりする。

 

私は、リズムに乗って書いてるから、そこを考えた時点でリズム感が狂うんです。

 

ずっと淡々と書ける人なら、いいと思います。

 

読みやすさ、売りやすさを考えて書くのなら。

 

でも、勢いに乗った状態で書く文章には熱が宿っているから、私はこっちが好きってことです。

 

自分が書く文章を、大事にしていたらいいんです。

 

下手でも何でも。

 

時間をかけてりゃいいってものでもない。

 

早く書いたらいいってものでもない。

 

ググったら出てくるような知識を書く場合は、わかりやすい文章が読みやすいけど、

 

自分の思想を書く場合は、何を伝えたいか?

 

じゃないですか。

 

目的がズレて、「わかりやすい文章を書く」ことが目的になったら、どれだけわかりやすくても言いたいことは伝わらないです。

 

と、私は思っているから、ロジックなど要らない。

 

こう書けば、人はこう反応するだの心理学を使った書き方で頭がいっぱいになるのが私はしんどい。

 

私が、私の文章に共鳴するか?

 

です。

 

いや、これは改めて思ったけど、自分が共鳴出来ないものを出すのは単なる自己満だから、それこそ日記帳に書いておけばいい。

 

書きながら笑えるぐらいの文章でちょうどいいんです。

 

私はね。

 

洗濯機の話も、いい大人が洗濯機の前で立ち尽くしてる姿を想像して一旦爆笑したもん。

 

結果、荒れ果てた汚部屋でドテーンと寝転んで過ごす姿は笑えないけど。

 

この領域は、私の美意識と潔癖が敏感に反応しますから。

 

出来ない、しない!と開き直って、全てクリーニングに出す!ぐらいの潔さを持てたらいいんですけどね。

 

また話がそれた。笑

 

要するに、自分の思想や意思を表明する場合に、技術を駆使する必要はないってこと。

 

そもそも文章が上手な人、努力して上手になった人、色々いるけど、美しい文章は、作家の本を読めばいくらでもあります。

 

ライティング技術があっても、言語のボキャブラリーがなければ面白くないし。

 

内容がそもそも面白くなければ、どう書いても面白くないし。

 

ステキ風に書いてある文章は、ステキ風に書いたことが丸わかりだし。

 

その時点で、私は、内容どうのより、なぜこの人はステキ風に書いているのかを分析したくなります。

 

女性って、このあたりを敏感にキャッチしませんか?

 

ステキ風に書く時点で、全く素敵じゃないということは凄く伝わってきますが。

 

セールスレターというものもそう。

 

テンプレート通りに書いてあるものは、熱意が伝わってこないんですよ。

 

だったら、ちょいちょい笑いを挟んで欲しい。

 

よっぽど人柄が伝わってきます。

 

読み手の受け取り方を最大限に想像するのは大事だと思うけど、何より大事なのは、自分を本気で知るってことじゃないですか。

 

知った上で、全部捨てて想像しないと、

 

結局は主観の想像なので妄想で終わりです。

 

でもって、女性って感覚でわかるでしょ??

 

ひとつ言えるのは、ライティング技術を駆使しなくても、知っておくのは大事ってこと。

 

どんな姿勢で書くのかってことをです。

 

誰にでも伝わる文章に共通する書き方には何があるか?ってことを。

 

なぜなら、自分自身が読む時に思考が偏らないから。

 

これは、やってみたらわかります。

 

ただ、私がこの記事で最も伝えたいのは、

 

技術やロジックで、自分を後ろに隠しちゃいけないってことです。

 

個性というものが、全くなくなるような技術やロジックを使う必要はないってことです。

 

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土曜保育、休んだ人。

 

今日はみんなでパジャマのまま過ごす日。

 

そろそろ実家に行ってもらう時期です。

 

明らかに私の集中力が散漫してきているし、集中したい欲が増しているから、1人になるタイミングです。

 

やりたいことが沢山あって、私は子育てしながら出来る器用さは持ち合わせてないし、マルチタスクはこなせないと自覚しているので、離れて過ごす日々は必要不可欠。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アウトプットしている人は、圧倒的にインプットしている。

 

なんか、当たり前のタイトルなんだけど、

 

アウトプット量が多い人は、インプット量が多いから。

 

インプットとは、経験も含めます。

 

アウトプットとは情報提供だけではなく、

 

自分の意思の表明です。

 

ただの情報提供なら、ググれば出てくる。

 

私が言ってるアウトプットはそうじゃなく、

 

インプットして、感じて、考えて行動する

 

までをしていること、もしくは自分の意見を全責任を持って述べていることです。

 

脳内を見せているってこと。

 

振り返れば、

ブログに書きたいことがないわ〜って時って、

 

毎日同じこと、もしくは、似たようなことの繰り返しで感受性が鈍っていた時。

 

さらに、正しく思考していなかった上に、

 

とことん自分を知ることを怠っていた時。

 

 

そりゃ、ブログに書くこと無いわ!笑

 

Instagramって手軽な発信のツールだけど、あれはアウトプットに使ってる人が少ないでしょ?

 

写真がメインのツールなんだから、

写真で自分の世界観を伝えることがInstagramの特徴だと思っていたんだけど、最近は日記に使う人も多いね。

 

いや、日記が悪いのではなく活用の仕方の1つなだけで、アウトプットの手段ではないということ。

 

プロフィールに

「子どもの成長日記」とか「日常の備忘録」って書いてる人が多くって、写真付き日記として使ってるんだからいいと思うんです。

 

便利だもんね。

 

そういう人たちって、「インスタ映え」とか気にしてないし。

 

犬好きな人は、犬の写真だけを載せたり、花好きな人は花の写真だけを載せたり、世界観がパッと見てわかる人のページは好きです。

 

写真そのもので、世界観を表現、表明しているから。

 

最も意味不明なのは、日記でもなく、

 

絶対に誰かに見て欲しいだろうというのがアリアリと溢れているのに、日記なPost。

 

わかるでしょ??笑

 

それ、誰向け?

 

承認欲求と日記を混ぜて薄めるなよ!な、文章。

 

この時点で、毎日自分を見てないことがわかる。

 

いや、別にいいんだけどね。

 

私は、そんな無益なPostは読まないので。笑

 

私はInstagramを、

 

私の日常を切り取った世界観、価値観の表現と、

美しいもの好きなものの紹介に使ってるな〜と認識。

 

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キッズレインブーツは、キドラブルの次に

HUNTERがオススメだよ!

 

私は、HUNTERが好きだよ!

 

雨の日のピンクは地味に感じるから、シルバーにしたよ!

 

という、感性やセンスを含む世界観の表現です。

 

ご飯のPost、最近してないけど、それも同じ。

 

おかずの組み合わせ、お皿の組み合わせ、テーブルコーディネート、全部が世界観の表現です。

 

だから日記ではないし、必ず人に向けて書いてます。

 

誰かに役立ち、誰かが役立ててくれると確信して書いてます。

 

ご飯や手作りお菓子を載せて、

 

「すごーい!」と言われたくて載せてないです。

 

美味しいのは私が一番よく知ってるし、別に凄くないから。

 

可愛いものは、可愛いでしょ💗って思って載せるけど、それは、

 

私がこれを可愛いと思うというセンスの表明です。

 

つまり、ジャパニーズは圧倒的にアウトプットが少ないってこと。

 

自分を表明しないってこと。

 

自分を知らないからです。

 

だから、本質的なインプットが出来ない。

 

情報過多に飲み込まれるか、情報過多の蚊帳の外にいるか、いっちょかみするかで、

 

モノにしない。

 

本を買う目的だってそうなの、同じ。

 

直感でこれ!!って買うのは別として、

 

「流行ってるから」で買うと目的がないから、読んで終わり。

 

なんなら、最後まで読まずに放置。

 

オススメされたから買う。という場合、

 

なぜいいと思っているのかを知ろうとしない。

 

だから、私は、本をオススメする時は必ず理由を説明しています。

 

「良かった!」という感想にもならない感想ではなく、この目的で買ってこう感じた。までを。

 

もうこれは私の主観でしかないけど、だからこそ熱量が届くんだと思う。

 

「面白かった」という感想は、よっぽどの信頼がある人以外、心が動かないですからね。

 

で??となる。

 

面白かったの次は?何が?どこが?となる。

 

「このドラマ、泣けた〜!」

 

どこで?となる。

 

私は、どこで泣けたのかを知りたいんですよ。

 

何が琴線に触れたのか、どんな感情で見て泣けたのかを。

 

これをきちんと伝えてくれる人は、世界観や感受性がわかりやすいから、共感も、共有も出来るんです。

 

これもアウトプットです。

 

例えば、「大恋愛」というドラマ。

 

友達も見ていたんだけど、どういうところで、自分が何を感じたかを説明してくれるから、泣いた理由が伝わる。

 

「泣けた泣けた!」だけだと、本当に見たんか?と思うと同時に感受性が豊かじゃないんだなという感受性を感じますね、私は。

 

ちなみに、大恋愛は一切泣けなかったです。笑

 

戸田恵梨香の無邪気な笑顔がめちゃくちゃ可愛かったし、彼女の演技は本気で上手いな〜とは毎話思ったけど、泣けるポイントが泣くて。

 

これも、世界観やどう見ているかの違いですよね。

 

しかし、これも共有しないとわからないし、

 

泣けようが泣けまいが、友達じゃなくなるとかもない。

 

価値観や世界観の違いを知り、その感性を知ることも目的だからね。

 

世界観をどんな形であれ、表現したいと思うのが女なんじゃないんでしょうか?

 

言葉、写真、ファッション、何でも手段はあるじゃんね。

 

世界観や価値観がグラついてる人って、これが出来ない。

 

なぜなら、自分を知らないから。

 

「友達と飲み会」

 

で、適当に撮ったような写真を載せていると、もうそれが世界観なんだ!ってことに気付かないんです。

 

SNSがこんなに普及した時代に、ROMるだけってのは、そういう価値観なんです。

 

良い悪いではなくて、そういうことですってこと。

 

誰かに伝えたくなるほどの、インプットが出来ていないんじゃなくて、私が伝えても誰も見ないから〜的な考えも、価値観です。

 

いいことを人に教えてあげたいと思わないのも、自分の価値観。

 

真剣に、なぜなのか?を考えたら、世界観は広がるし、価値観は変わりますよ。

 

どんな世界観や価値観でも幸せは感じられるけど、

 

もっともっと新しい幸せに出会いたいなら、今の価値観や世界観は変えないとね。

 

変え方は、簡単です。

 

自分の考え方も自分もいちいち疑うことです。

 

登園前に、公園が工事中だと教えてくれた長女。

 

工事中なのは幼稚園で、市の公園は工事中じゃないやろ??と思い込んでいた私。

 

長女が園庭と公園を勘違いして話してるのかと思い込んでいた私。

 

長女、本当にごめん。

 

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ほら、工事中、立ち入り禁止だもん!

 

って、本当に工事中。

 

遊具が全部無くなってた!

 

良かった、思い込みに気付いて。

 

長女が私に伝えようとしていたことを、ちゃんと理解出来て良かった。

 

これが一番良かった!!!

 

それだけで今日は送ったかいがある❣️

 

さて、山のようにメモしたノートを整理しよう!

 

ノートの整理は、思考の整理です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女に「マーケティング」は出来ない。女は、感受性を言葉にすることが仕事です。

記事はこちらから読んでください💗

 

女に「マーケティング」は出来ない。女は「感覚」「感受性」で自分を知る言葉にすることが仕事です。|SAORI YAMAMURA|note

 

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2019、春のレインブーツ。

 

スノーブーツの時期の今が、1番好きな色を手に入れやすいから今💗

 

でも、シルバー2サイズはめっちゃ探した!笑

 

子どものレインブーツ、HUNTERは本当にオススメ✨

続「ありがとう」「ごめんなさい」を教えない子育て、普通です。

 

「ありがとう」と「ごめんなさい」を教えない子育て、普通です。 - SAORIYAMAMURAオフィシャルブログ

 

↑こちらの記事に補足しておきます。

 

「ありがとう」「ごめんなさい」という、湧いてくる感情までコントロールすることが、

 

古い子育ての躾。

 

古い子育てでは、親としてせねばならぬこと。

 

挨拶が出来ない子どもを見て、

 

「親の躾がなってない」って言う人もいるし、そう言われたくない人が、この子育てをしているからね。

 

 

しんどいわ!

 

親の負担が、大きすぎ。

 

そのうえ、良い効果はない。

 

こういう、良い効果がない躾だのが多いのが古い子育てなんですよ。

 

「ありがとうは??」なんていちいち子どもに言わなくても、

 

その想いが言葉に出来れば言うし、出来なければ違う形で表現する。

 

例えば、凄い笑顔になったり喜んでいることがわかる姿が見える。

 

気持ちが無ければ言わない。

 

シンプルなことです。

 

言わされていると、不感症になるでしょうが。

 

心にもないことを言って、したくもないことをする大人が不感症なのと同じです。

 

ただ、何かを与えてもらって嬉しかった時は、

 

「嬉しい」とか「ありがとう」とか気持ちを伝えるんだよ。

 

相手も嬉しいんだよ。

 

とは、伝えているし、

 

悲しいこと、嫌なことも伝えないと、相手はわからないんだよ。

 

とも、伝えています。

 

何が嫌なのかなんて、人それぞれなんだから、

 

自分はこれが嫌なんだってことを伝えないと、本当に悪気も悪意もない場合にスムーズに解決しないじゃん。

 

ただ、何が嫌なのかをちゃんと知らずに、

「嫌だ!」で終わらせると、ぐっちゃぐちゃです。

 

大人にありがち。

 

方法が嫌なだけで、その行為は嫌じゃない場合だってあるし、

 

自分の後ろめたさがバレるのが嫌だから、何かを言われるのが嫌だとしている場合もある。

 

子どもが「嫌だ」ということを、ジッと観察するか、何で嫌なのかを丁寧に聞いていったらわかるんですよ。

 

このパターン。

 

例えば、ちょっと前に長女が傘を持って幼稚園に行くのが嫌だと言ったんだけど、

 

傘を持って行く行為が嫌なのではなく、ジャンプ傘の急に開くのが嫌だったわけ。

 

なぜ、急に開くのが嫌かというと、支えきれなくて誰かにぶつけちゃったら嫌だから。

 

優しさです。

 

自分が人の傘が当たったことがあるからです。

 

経験って大事なのは、こういうことにも現れる。

 

ならば、ジャンプ傘の開き方を練習すればいいだけ。

 

コツを掴めばいいだけ。

 

そうすれば、

幼稚園に傘を持って行くのが嫌だ

 

とはならない。

 

こういう理由で、こう言っている。ってことを把握した上で先生に話したら、傘を開く練習は先生がしてくれるって言ってくれたからお任せしました!

 

「傘を持って行くのを嫌がるんです」

 

と、

 

「傘を開く時に、友達に当てないかを気にしていて傘を持って行くのが嫌だと言うんです」

 

というのは、先生の受け取り方は全く違います。

 

自分で全部やろうとすると、先生が傘の練習をしてくれることもないですからね。

 

結果、私は傘の練習をお任せ出来て楽だし、

 

何より、傘の練習に使う時間は違うことが出来る。

 

自分の子どもは、自分が育てるという考えが、傲慢だ。

 

1人で育てられるわけがないんですよ。

 

集団生活での学びという人と触れ合う経験をして、成長していってるのに、なぜ、1人で、自分育てようとしているのか、不思議でならない。

 

子どもは自然に成長すると信じていれば、余計なことをしないんです。

 

必要なことを見極めて、選択出来るんです。

 

 

挨拶を教えるとか、どれだけ意味不明か考えたらわかります。

 

というか、私は

 

何でみんなして、挨拶を教えるんだろう?ということに疑問を抱いて、考えた結果、教えない選択をしただけです。

 

既存の古い子育てに、まんまとハマると疑問を抱かず、オリジナルをやってる気になっちゃうけど、

 

それこそが、古い子育て。

 

私が提唱する子育てとの違いは意識です。

 

子どもの為に!という意識ではなく、どちらも自由で快適になるという意識。

 

だから、まずは自分の快適を優先して選択していかなければ、お互いの快適なんてわからないです。

 

ちなみに、自由って、

 

無法地帯のことじゃないです。

 

心、時間、空間、経済のことを言っています。

 

自由だから、制限はない!って、それ自由じゃないし。

 

この辺りは、動画を撮ります❣️

 

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よく、双子??と聞かれると母がいつも言ってる。笑

 

すかさず「年子です!」というムスメズ。

 

もう、どっちでもいいよと思う。笑

 

ただ、オソロは尋常じゃなく可愛い、いつもいつも💗

 

 

「ありがとう」と「ごめんなさい」を教えない子育て、普通です。

 

続編も読んでね❣️

 

続「ありがとう」「ごめんなさい」を教えない子育て、普通です。 - SAORIYAMAMURAオフィシャルブログ

 

昨日は実家に。

 

久しぶりのムスメズ💗

 

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駐車場までお迎えに来てくれたよ〜💗

 

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長女の歯が、また抜けて2本同時にないから凄いマヌケなのに可愛い❤️

 

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今年も私たちFamilyをよろしくお願いします💗

 

ということで、おーばも呼んでみんなでご飯。

 

私は、

金柑の甘露煮

ローストビーフ

筑前

伊達巻

アスパラと人参の肉巻き←照り焼き

チーズと大葉の肉巻き←フライ

 

を作って行ったんだけど、買うより作った方が美味しいね❣️と全員一致!!

 

どれも、非常に美味しく出来て良かった✨

 

父が、ローストビーフを気に入って超食べてたんだけど、

 

「美味しい、美味しい」と言葉にするから、また作ってあげようと思うんだなと。

 

細かいことだけど、「美味しい」って言わない人っているもん。

 

黙々と食べる人。

 

「美味しい」も「美味しくない」も愛です。

 

ローストビーフは凄く簡単で、美味しい牛肉を使ったら失敗はないから、タレが肝心!

 

そして、久しぶりにムスメズを連れて帰宅。

 

最近、家を所有せずにホテル暮らしとか、

 

JAPAN以外に家を持っていて、あちこちで暮らすとかこんなライフスタイルの人が増えてる印象があるんだけど、まさにそれの距離が近いバージョンがムスメズ。笑

 

自分の家はここ!って概念がないから、

 

かなり前から「ママんち」って呼び方をしてるんだけど、「ママんちに行ったら〜」って続けるから、

 

家は1つ!という概念がないんだな〜としみじみ。

 

「ばあばんち」「おーばんち」「パパんち」

 

 

家は1つという概念、賃貸か所有かの概念以外にも、色んな概念と選択肢があると知ってると豊かだねー。

 

海外にも家があって、気分で好きな国で暮らすって最高じゃんね💗

 

憧れる人はたくさんいると思うけど、

 

仕事は?学校は?って、絶対に無理なものとして却下するのも、概念や常識や価値観の問題。

 

私は、本当に極力、私の価値観を押し付けず、

 

自分たちで自分たちの価値観を見出せるコミュニケーションを取ってきたから、結果として、

 

ムスメズの概念は、家は1つじゃないになっただけ。

 

ばあばんちの壁の一画には、塗り絵やお絵描きがビッシリ貼ってあったんだけど、

 

ばあばんちではオッケー!

 

ママんちではNG。

 

という、その場所のルールの違いを知るって順応性の高い時期こそ有効であり大事だなと確信。

 

幼稚園と家だけじゃなくて、日常生活でも今から知っておくって大事。

 

これが、飛行機では騒がない、病院では騒がない、

 

ということを自然と身に付けるから私は楽。

 

あ、歯医者の診察台では泣くけど。笑

 

インフルエンザも今年は痛かったらしく、泣いたけど。笑

 

待合室ではいつも2人で静かに遊んでるよ。

 

というか、固定概念があると厄介だから、

 

必要なのは信念と美学と志だけでいいと思う。

 

数年前から「ありがとう、ごめんなさい」は教えないということを言ってるんだけど、

 

教えるものじゃないからね。

 

義務で言うのと、湧いてきたものを言葉にするのとは全然違うから。

 

義務や体裁で「ありがとう」を言う人は、基本的に感謝が湧かないのか、感謝が言葉に出来ないのかどっちかわからないけど、義務感を載せて言うし、

 

「ごめんなさい」を強制されて来た人は、

 

この言葉を言えば許されるという手段に使う。

 

言い訳にも使う。

 

「ありがとう」や「ごめんなさい」って、湧いてくるものだから、私は、

 

「ありがとうを言いなさい!」なんて教えない。

 

2人ともお年玉をもらって、「ありがとう」って言ってたのに、帰宅してお財布に入れる時に、改めて感謝が湧いたのか、

 

長女が「ありがとうって言ってないかも!ありがとうって言いたいから、ばあばとおーばに電話して!」

 

って言ってたのよね。

 

これで、オッケー!!と、再確認。

 

感情を言葉にするのって、小さい頃から当たり前に出来ることではないから、親の言葉を教えると、

 

自分の感情を言葉で表現しようとする力が弱くなる、必ず。

 

それに、感情を言葉にする時に親の言葉のまんまだから、自分の言葉がわからなくなる。

 

だからじゃない?

 

義務の挨拶をして、そこに心がない人がいるのは。

 

 

言葉にならない時は、泣くでしょ??

 

泣いたら、私は絶対に言葉にするまで待つし、

 

「ただ泣いてるだけじゃわからない」ということを伝える。

 

ただ泣きたいだけの時は?という質問が来るならば、

 

ただ泣きたいなんてないです。と答えます。

 

「今日は泣きたい気分!」とか言って、泣けるドラマを観る人は、泣きたい理由が必ずあるもん。

 

泣いてる理由を言わないとわからないのは、

 

チーンと黙っててもわからないのと同じ。

 

そして、成長するにつれ、黙っておくことを選択出来るようになるんだけど、

 

古い概念だと、黙っておくことの選択をミスる。

 

芸能人の不倫だとか最も黙っておけばいいことを黙らず、美しくなりたいと思っている人が明らかに変なメイクしてても黙っている。

 

なんなら、触れちゃいけないかのように。

 

どちらも愛だけど、黙っておけば害はないという自分への上っ面の愛を選択してる人って、何も考えてないのかなと思うし、きっとそう。

 

感覚や感じたことなんて、その人にしかわからないんだから、私はその領域は徹底してムスメズにも人にも口を出さない。

 

思考は、わかるけどね。

 

おーばが、87歳、痴呆もなく元気いっぱいな理由も昨日確信。

 

昔から何回も聞いた話や、昔話をすると、

 

母か私か妹が必ず、「それ、聞いたよ。」と言うから。

 

また同じこと言ってるわ!と、スルーすると本人は無自覚のまんまになるけど、

 

また、その話をしてることを伝えると、なぜ言いたいのかを考えて述べてるもん、いつも。

 

そりゃ頭がしっかりしたままだわ!と思う。

 

毎日、必ず人と会話をしに出かけてるし。

 

私は、何が楽しいのか不明だけど、おーばは楽しんでるから黙っています。笑

 

今年は、「伝えるスキル」ってキーワード。

 

つまり、聞くスキル、考える力もなんだけど、

 

本気で浅い思考で終わらず、考えても先に繋がらないことは考えず、1つ1つ丁寧に選択していきます❣️

 

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アイシャドウが濃かった自覚はあるけど、

やっぱり妹と母に突っ込まれた件。笑

 

昨日は雨で初詣に行けなかったから、雨が上がったら行ってきま〜す💗

 

 

 

 

 

 

 

 

noteを活用します💗今年は、より素晴らしい1年になるよ💗

 

新年明けましておめでとうございます🎍

 

今年も宜しくお願いします💗

 

2018年の振り返りと共に、カメラフォルダを見てたんだけど、結局はいい1年でした✨

 

とことん学べた時点で、最高です✨

 

満足はしていないし、反省点や改善点があるというだけです。

 

改善点があることは豊かだなと感じる。

 

それは、次のビジョンがあってそこに向かっているという証だから。

 

しなくてもいい経験など、無いからね。

 

経験や学びは、活かしてなんぼ!

 

活かさなければ無かったと同じ!ということを肝に銘じて、飛躍の年にしま〜す❣️

 

2019年、最初のブログはこれ!!

 

note のリンクです。

 

これは、ブログに書く予定はないです。

 

「自分の思考」「自我の握りしめ」は、何をしたって学べないどころの騒ぎじゃないということを実例を挙げて書いています。

 

凄くわかりやすいです。

 

オンラインサロンにも投稿したけれど、よりわかりやすく目次を付けて書いてます❣️

 

途中から有料にしてますが、読んでね💗

 

 

【メモの魔力】をいくら読んでも、いくらメモしても、成果が出ない人の特徴。してはいけないことを書きました。|SAORI YAMAMURA|note

 

今年は、noteには、noteでしか読めないことを書きます💗

 

始めたばかりで、ブログを転載していたけど、やめました!

 

noteの使い方を明確に決めたんです✨

 

楽しみにしていてね〜❣️

 

清々しい気持ちで、2019年を迎えられて、

とっても嬉しい💗

自己否定をしてはいけないという制限が不自由。

 

2018年も今日で終わり!!!

 

ちゃんと振り返っておこうと思います。

 

女の体って本気で優秀だな〜とつくづく思ったこと、大晦日に生理が来た。

 

私は生理って「デトックス」って言葉はちょっとニュアンスが違うと思っていて、

 

「使わなかったものを排出する」

 

のが生理であって、デトックスはそもそも不要な老廃物や不要なものを排出する意味合いが強いと感じるからなんだけれど、

 

生理は、赤ちゃんのベッドを準備していて、妊娠しなければ使わないから排出するんだから、この自然って、生き方や在り方と同じだな〜と。

 

デトックスも、もちろん大事。

 

使わなかったもの、特に情報や知識や過去を排出するって必要だなと。

 

そして、生理って、次に向けた準備でもあるから、

 

使わなかったものを排出することが、次に向けた準備であり、握りしめていたら次に向けた準備なんて出来ないです。

 

掃除用品のCMで、

 

「今年の汚れ、今年のうちに!」ってフレーズ、覚えてる人いるでしょ??

 

このキャッチ、優秀だわ!

 

大掃除って、お部屋の掃除より、

 

思考と心の掃除と整理整頓のことだと私は思っているから、それを意識していたら、自然にその流れになるよね。

 

ちなみに、大掃除はしてません。笑

 

いつも掃除してるから、私とムスメズの寝具を洗っただけ。

 

さっきシャワーを浴びたから、お風呂をいつもより丁寧に洗ったぐらいで後は夜に玄関を拭いて、お節料理を作ったらキッチンを掃除したら終わり!

 

それよりも、思考の大掃除、整理整頓!!

 

2018年は、めちゃくちゃ学びの多い年でした。

 

毎年言ってるけど、今年は特に!!

 

その分、絶望と反省もたんまりだけど、

 

一言で反省を表現すると、

 

小さくまとまりかけ、もたもたしていた自分を恥じる。

 

以上です。

 

変化、進化することを経験している人って、

 

ずっと変化、進化していないと飽きるんですよ。

 

飽きる状況を作ったことに、絶望と反省。

 

自分が、どんどん変わっていけることを経験していると強いです。

 

だから、4年前の年末に、

 

「私、今のままじゃ嫌だわ!」と、ふと思って無我夢中で行動した私に感謝。

 

無我夢中ですからね、我は無いんです。

 

無我夢中になれることが、すでに幸せ。

 

私が簡単に、あっという間に人生を変えられたから誰でも、「変わりたい」という気持ちがあれば変われると信じていたけど、そうではないことも確信。

 

別に変わらなくてもいいんだけどね。

 

ただ、私はずっとこのままの人生では嫌だし、

 

より素晴らしい人生にしたいという気持ちがあるだけ。

 

今、幸せで平和です。

 

でも、ずっと今の幸せと平和は、飽きるし足りなくなる。

 

人は慣れるからね、幸せで平和な状態が通常になる。

 

日常にある沢山の小さな幸せをどれだけ感じようが、今のステージの幸せと平和には飽きます。

 

飽きるということは、

 

もっともっと幸せを感じる世界、平和な世界があるというけと。

 

私はそこに生きたいということ。

 

だから、この欲求は死ぬまで終わらないです。

 

SAORIに生まれたこの人生を、今のまま終わるとか、立ちくらみと目眩がする。

 

死ぬまで満足なんてないけど、ずっとより素晴らしい人生を歩んでいきたい。

 

昔は、死ぬ時に後悔したくないと思っていたけど、ステージが変わって気付きました。

 

後悔しない死に際なんてないと。

 

満足感に溢れて死ぬことはないなと。

 

穏やかな死に際はあったとしても、あれもやっとけば良かった、これもやっとけば良かった、もっとこうすれば良かった、と、思うだろうなって。

 

どれだけ一生懸命に、熱心に生きても、次はもっと、次はもっと!となるから満足なんてしないのが人生だと思う。

 

満たされてはいても、今に満足、これでいい!にはならないよ。

 

もっともっとと求めるのが人生でしょ。

 

ただ、その後悔の中身は、今の人生のままと、

 

大きくステージが変わって今のことを忘れているぐらいの場所にいたら違うと思う。

 

死んだことないからわからないけど。

 

いずれにせよ後悔するのなら、生きてる間に出来ることは全部やりたいし、生きてる間の後悔は少ない方がいい。

 

「いい経験をしたわ!」だと、完璧な見事な取りこぼしなので、

 

2018年の経験と学びは、活かしているという現実を生きてから、言います。

 

「あの経験で得たものは」という観点で話せると予想しているから。

 

ムスメズ、いつ帰って来るんだ??

 

な、ぐらい実家で楽しんでるみたいだけど、

 

今年は幼稚園に行く回数が多かった経験はして良かったです。

 

何が良かったって、そりゃもちろん子育ての研究と検証が出来たからです。

 

そして、やっぱり週の半分くらいを一緒に過ごすのがちょうどいい距離感だと再確認出来たことが、良かった。

 

あと、単純に面白かった!

 

子どもの好奇心と純粋さは、失ってたものを思い出させてくれるし、私に無い視点をどんどん与えてくれるから好き、とっても。

 

昔っから子ども好きな理由は、これなのかもしれない。

 

子ども好きと、子育てが出来るのは全くの別物です。

 

子ども好きと、子どもの為に自分を犠牲にするのは、絶対にイコールにはならない。

 

子育てについては、2019年に、これでもか!ってぐらい書きます。

 

幸せにしかならない子育てを、子育てのスタンダードにする為に。

 

2019年、私が最優先ですることはこれです。

 

どう考えても素晴らしい子育てなので。

 

ママと子どもが自由である、領域をおかさない、コントロールしないという関係って、健全で平和で豊かで幸せな関係であり、「命を信頼する」というこの心が、安心してチャレンジし、安心してミステイクするという経験を積み重ねられる。

 

もちろん、ママも子どもも。

 

どっちも幸せ、どっちも自由、信頼し合える、心配など脳裏にないって最高だもん。

 

安心していない、安心出来る心の場所がないから、

意地悪したり、陰険なことをしたりするんです。

 

幼少期は、安心感があってこそチャレンジ出来るし、不安より安心が大きいから未知にチャレンジ出来るし、その積み重ねで自信を持って何でもチャレンジ出来るようになるからね。

 

子どもの頃の癖って、大人になってから自分が本気で意識しないと自覚出来ないし、「この思考、趣味悪いわ、やめよ〜!」ってやめられないからね。

 

子どもの頃の癖に限らずですけど。

 

子育てでも、人生でも、何かに詰まっていて、抜けるきっかけって実は、たった一言だったり、

 

一瞬感じたことだけだったりするからね。

 

そこに気付ける人が、導かれていることに気付けるし、自然の流れに乗っていることに気付けるんだと思う。

 

全ては自然の流れに乗っているとわかれば、自分のやっていること、「今」がおかしいなんて一目瞭然だもん。

 

自然の摂理、女の生き方に逆らった生き方はしんどいことしかないし、それは自分が作り上げた現実だと自覚すれば、どうしたって思考は変わるんです。

 

私にとって、憧れる心って宝で、この心があるから「自分の考え」「自分のやり方」が勝手になくなる。

 

もうね、当たり前過ぎることを言うと、

 

しかも、何回言ったかわからないぐらいの当たり前過ぎることを言うと、

 

今までの自分の考え方、やり方でやってきて今

 

なんだから、それを変えない限り、今と同じがずっと続くんです。

 

今までの自分の考え方、やり方を変更したら、

 

当たり前だけど、今までと違うことが起きる。

 

これを繰り返してる人と大きく思考を変えた人は、現実の変化が早い。

 

現実がわかりやすく教えてくれる。

 

ということをわかっていて、ボケボケしていた私にまた絶望。笑

 

最後にひとつ、

 

自分に与えられている才能は何かを自覚し、それを活かしながら洗練させ続けていくことが大事。

 

逆に、これを怠ると退化します。

 

与えられている才能がわからない人は、わかる人に聞いてください。笑

 

ただ、何もせずにちょこんと座ってお菓子食べてても誰もわからないけど。

 

自分の意思を示さないと、誰もわからない。

 

コミュニケーションを取らないとわからない。

 

だから、子どもの才能ってめちゃくちゃわかりやすいんです。

 

「人生ずっと学びだよね〜」とか言いながら、何にも学んでない、行動していない人の才能なんて、誰がわかるんでしょうか?

 

わかることは、「学び」の定義を全く疑っていないということと、それを言うことで学んでる自分になりすましたいだけという公開自慰行為をしているということ、「行動」の定義を疑っていないということだけです。

 

私、2018年の最大の収穫の1つとして、

 

自己嫌悪と、自己否定って、すればするほど成長の動機、きっかけ、後押し、熱意になるという作用をすることがわかったこと。

 

自己否定はダメという風潮があるけど、それって制限や縛りになるからね。不自由です。

 

自己否定の目的次第なんですよ、結局。

 

私、先月末あたりにコテンパンに自己否定して、自己嫌悪したんだけど、

 

くっだらねー!さっさと変わろー!

こんなとこで、ちんたらしてるのやめよー!

 

と思ってからの変化って凄いです。

 

 

どれだけ自己否定しても、大丈夫という強さと信頼があるから自然に出来ることだし、目的が、

 

今よりいい人生を生きる為

ですから。

 

この目的以外で自己否定や自分責めをするから、卑屈になるんだわ。

 

自己否定をしてる人は、目的は何か??を考えて、ちゃんと自覚すればいい。

 

自己否定も出来ないほど、自分を全く見ていない人なんかより、よっぽど、すぐに変化する状態でいるんだから。

 

自己否定がしんどいのは、目的が明確ではなく、

それを繰り返しているからです。

 

自分が自分を愛していたら、どれだけ自己否定をしようと、絶望と同じで、よりよい人生の糧にしかならないです。

 

だから、もっと素晴らしい人生を生きたい!と願う人には有効な手段です。

 

てゆうか、この場合の自己否定って、自己肯定にしかならないんだけどね。

 

本当の自己否定とは、自分を全く見ていない、自分を生きないことのみです!!!

 

しょうもないくだらない自分を握りしめていることが、自己否定だと気付かないことが自己否定。

 

2019年、どんな1年になるかわからないけど、

 

1年後は、今とは全く違う景色を見て、

 

今より素晴らしい人生を生きていると決めています。

 

30代最後の1年だからね💗

 

さて、お節作りをしよ〜❣️

 

2018年、ありがとう💗💗💗💗💗

 

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めちゃくちゃ美しい黄金✨

 

単色でこの美しさ✨

 

超超超金運オルゴナイト✨

 

皆さん、よいお年を💗