「カッコいい女」は「可愛い女」。「怖い女」ではない。
昨日は友達たちと忘年会💕
みんな子連れだから、いつもならムスメズを連れて行くんだけど幼稚園の送り迎えに飽きていたからムスメズは実家にお願い。
ちゃんこ鍋💕
大好き💕
「カッコいい」と言われると、「怖い」と思われそうで嫌だ。とか、
「カッコいい女」のイコールが、「怖い、怖そう」だと定義している女性がいるけど、
しかも、だいぶ多いけど、
違います!!
会ったこともないのに、ブログだけで、
「怖い」と言われまくった私が言うから本当です。
そもそも、何もしてないのに、
「怖い、怖そう」って言われる時って、
【自分がどう生きようが周りに何を言われても構わない!】
が、優位に立ってる時。
なんなら、「嫌われても構わない」と思うほどに、
自分の哲学を人に伝える覚悟をしている時です。
「怖い」と言われることに慣れると、
いちいち気にしなくなって、
「カッコいい!」が増えていくんだけど、
カッコいい女=怖い
についてかなり前に考えたんだけど、
これってその人が自分の中で作った幻想です。
自分の中の可愛さを自覚してない時にこの幻想を抱く。
「テキパキ仕事して、決断力があると怖いと思われるから」とゆう理由で、
自分の力の出し惜しみをする人が多いけど、
もったいないよ。
自分のイメージを自分で制限して、不自由になるパターン。
ちゃんと本質を見ている人はいるからね。
私は、「カッコいい」と言われる方が多いし、
実際に「カッコいい女性」が好きなんだけど、
カッコいい女性って、必ず可愛いです。
女性と少女が、目に見えて同居してる。
みんなそうなんだよ、女性と少女が同居してるんだけど、どちらかを無いものとして、見えないようにしてるんだよ。
カッコいい女は、可愛さを自覚して、
見せている。
何なら、カッコいい女って、
奥ゆかしさまで持ってますからね。
可愛い!が先行する人も、必ずカッコいい部分があるんだよ。
どっちの面が、人に認識されているか。だけ。
しかし、少なくとも私は、
私の可愛さを自覚してから、「怖い」と言われなくなったし、カッコ良くても可愛くても、
どっちも私だから、いちいち気にしなくなったけど。
「カッコいい」という非常に抽象的な言葉を、
相手がどんなイメージや定義で言っているか?を考えればわかるんだけどな。
つーか、
そこに愛があるかどうかを。
全ての言葉において、自分の具体的な定義がないまま使う人ってめちゃくちゃ多いからね。
「可愛い」「幸せ」もそうだけど。
ちゃんと自分の中で具体的に定義していれば、
どんなに抽象的に言われても、勝手に自分が決めた定義で受け取ればいいんだから、
カッコいい女と言われて、怖い女だとイコールにして悩む必要は、まず生まれない。
「言葉」より、そこに宿る中身です。
自分が日常的に使う言語全てを書き出して、
具体的に意味を出していけば、どれほどぼんやりした意味で使っていたかよくわかります。
言葉遣いが綺麗=上品
とすると、綺麗な言葉を使う方に意識がいくから、
伝える手段を物凄く制限するよね。
言葉遣いが、いつもいつも汚い人っていないし、
言葉遣いがいつもいつも綺麗な人って、いないよ。
その、言葉遣いでさえ、聞く側の定義だし。
私は、いつもいつもお上品な言葉を遣う人を見ると苦しそうと感じてしまうから、
お上品な言葉ばっかり使って素敵✨
とは、ならない。
苦しそう=無理してる、脳の容量をこんなことに使って大変そう。
と思う。
あと、砕けた感じの方が親近感が湧くってのもある。
このイメージがあるから、
私はいつもいつもお上品な言葉を使うことは、無意識で避けるよね。
何を言われたか?じゃなくて、
自分がどう受け取ったか?
です。
SNSで発信する時は、
伝える努力って必要だと思うけど、これはもう自分を知ることが先です。
読みやすさより何より。
話がそれたけど、
カッコイイ女は、可愛い女ですからね!!!
カッコいい男に、可愛い部分があるでしょ??
同じです。
カッコいい女は怖いと、自分で決めつけると、
どんなに魅力的なカッコいい女を見ても、本気で憧れても、「怖いと言われたくない」という意味不明な無意識が働くから、
自分の憧れとは真逆の行動を取るんだよ。
ファッション含め。
でも、本当に憧れる姿から分離していく一方だから、葛藤が起きる。
カッコいい女は、可愛い女だと決めればいいんです。
実際にそうだから。
カッコ良さだけで生きられないから、女は。